公開: 2024年2月6日
更新: 2024年2月6日
日本社会で、長期に渡って続いた高度経済成長が、1990年に終わって、日本社会の経済が停滞し始めると、日本企業では、社内人材の余剰に悩み始めました。日本社会の企業における雇用制度では、終身雇用が前提であり、企業の会社理由による退職勧告は法的には不可能でした。特に、企業内で中間管理職になっていたベビーブーム世代の人々は、そのような経済環境での人員整理の対象とされるようになりました。
1990年代の後半の企業で、人員整理の対象となったベビーブーム世代の人々の多くは、高等教育を受けずに企業へ就職し、終身雇用の枠組みの中で企業内の人材育成プログラムによって、社内業務に必要な知識を得ていた。このことは、その人々が得ていた知識が応用できる範囲は、主として雇用されていた企業の環境に適合した範囲に限られていました。このため、企業の場から離れた(企業を退職した)人々が見出すことができる職業は、限定されたもので、それまでの家庭の経済水準を支えることは難しくなりました。
この世代の人々の子供たちが、第2次ベビーブーム世代の人々で、1990年前後に大学へ入学した学生です。彼ら彼女らは、大学進学率の高まりの影響を受け、また、高度にシステム化された予備校の偏差値による進学指導の効果もあり、各自の学力偏差値で、最も高い偏差値を得ている大学を受験し、合格することが可能になった時代の人々でした。しかし、彼ら、彼女らが、大学に入学して、学び始めると、社会の経済状況は大きく変わり始めました。
この日本社会の、バブル崩壊後の経済の低迷により、親の失職などの影響により、一部の学生は、大学での学びを諦めざるをえませんでした。その学生たちは、不本意ながらも大学を去り、就職せざるをえない環境に置かれました。幸運にも、家庭からの経済援助を受けられた学生の中でも、学費などの負担を、自分で捻出せざるをえない人々もいました。つまり、アルバイトで、長時間の労働をしなければならない状況に追い込まれました。このアルバイトによって、勉学の時間が削られ、大学の授業について行けなくなり、成績不良で、退学を余儀なくされる例もありました。
さらに、学費の経済負担を軽減する目的で、奨学金制度を利用した学生の中には、大学卒業時点で、数百万円の返済しなければならない奨学借入金があったため、大学卒業後の奨学金返済に窮する人々も出現しました。